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「1日中寝転がって本を読むか映画を観るのが理想的な生活」と話す佐野洋子さん(本人提供写真) |
人は自分を守るためにおのずと理屈を身につけてゆく。理屈はやがてぎしぎしと重なり堅い殻となって柔らかな魂を閉じこめてしまう。人が大人になるとは、たぶんそういうことだ。
佐野洋子さんは柔らかな魂をむき出しのまま生きている天然記念物のような人物だと思う。
「私、理屈を言われるとむかつくのよ。そもそも理屈を信用していないの。人間の歴史って、古い理屈を新しい理屈が覆す、その繰り返しだと思う。でもね、世の中を支配する理屈がいくら変わっても、人間には変わらないものがある。それは本能であり、本能に基づいた倫理観のようなもの。私は理屈より本能を大切に生きているのかもしれない。それは子供のころから変わらない。それで困ることはいっぱいあるけどね」
『100万回生きたねこ』(講談社)の作者は、そう自己分析する。
他者を愛することを知らず100万回の生死を繰り返した《ねこ》が、白く美しいねこと出会う。自分しか愛せなかった《ねこ》の心に変化が生じる。子供も生まれ幸せな日々が続くが、やがて子供は巣立ち、白いねこは年をとり死んでしまう。《ねこ》は来る日も来る日も泣き続け、ついには息絶える。そして2度と生き返ることはなかった−。
何かが堅い殻を突き破って魂に突き刺さる。胸が痛い! これは大人の感想。魂に殻をまとっていない小さな子供はどうなんだろう。昭和52年、佐野さんが39歳のときに出版した同書は、29年をかけて150万部を突破した。人が人を愛する限り、これからも読まれ続けることだろう。
「この絵本がどのように出来上がったか、よーく覚えているわ。物語の冒頭と末尾の言葉が最初に浮かんだの。あとは冒頭と末尾をつなぐように一気呵成(かせい)。キャラクターも言葉と同時に出来上がっていたみたい」
あのころ、佐野さんはどんな思いでこの絵本を描き上げたのだろう。
「私が絵本に込めた思いなんてどうでもいいわよ。どうしても話せっていうんなら、しゃべるけどね…」
聞いてみたい。だが、作品の読み方は、作者を離れてもっと自由なものであるはずだ。やはり聞かないでおこう、と取材ノートを閉じた。