ボールペン、塗料…。1000円にも満たない物を万引し、人生を棒に振る年配男性たちが目立つ。NHK放送局長。警視庁課長。地位も収入もあるのに、ホームセンターで安い日用品を万引した。50〜60代の万引検挙者数はこの10年間で倍増しているという警察庁の統計もあり、関係者は「家庭のストレス」「欲求を吐き出したいとする退行現象では」と分析する。ホームセンターに出かける“分別盛り”の男性たちに何が起きているのか。
数百円の物で…
「年配男性の万引犯は実感として多い。捕まえた人に『なぜこんなことをしたのか』と聞いても、『魔が差した』『ついつい』というだけ。財布にはお札が詰まっているし、必要でない物にまで手を出している」。富山市内のホームセンターの店長はそう話す。
5月下旬、富山市内のホームセンターを出たNHK富山放送局長(54)が保安係に捕まった。局長のポケットから出てきたのはボールペン、カミソリ、整髪料…。いずれも1000円に満たない品物ばかりだった。
一方、警視庁公安2課長(55)は5月末、東京都八王子市内のホームセンターで、瓶入り塗料2本(計約800円相当)を万引し、駐車場で警備員に見つかった。警視庁幹部である同課長は「なぜこういうことをしたのか説明できない」と話したという。
結局、NHK局長は、停職3カ月の懲戒処分を受け、退職願を提出。警視庁課長は、停職1カ月の懲戒処分後、辞職した。
2人とも、年収は1000万円をくだらないはず。それなのに、わずか数百円の商品のために、人生を棒に振ってしまった。
感覚マヒ?
警察庁の調べによると、昨年までの10年間で50代の万引検挙人数は、7700人から1万4600人に、60代は7300人から1万5500人に倍増。総数が7万4700人から11万3900人に増えているが、その伸び率は目立っている。
これは男女合わせた件数で、直ちに年配男性の万引急増を裏付けるものではないが、ホームセンター関係者の実感は「急増」だという。
「年収が高い年配男性は金銭感覚がまひしているのではないか。会社の部下や奥さん任せで、自分で買い物をする習慣もあまりないから、自分の物と他人の物の境界線が消えてしまうのだろう」と先のホームセンター店長はいう。捕まえた年配男性から「金を払えばいいんだろ」とお札を投げつけられたこともある。
ちなみに、同店で最も多く万引されるのは、乾電池だという。
家庭崩壊の危機も
この店長の店の客は大半が年配男性。店内には生活・業務用品、日曜大工用具といった身近な品物がずらりと並ぶ。薬局や小売店より入りやすい雰囲気もある。
警察関係者は「膨大な量の商品を所狭しと並べる陳列方法は、買い物客の所有欲を助長する効果がある。しかも、広い店内に従業員はまばら。高い棚で目隠しされ、万引を誘発する条件はそろっている」と話す。
しかし、その誘惑に負けた代償は重大だ。万引はれっきとした窃盗罪。「10年以下の懲役か50万円以下の罰金」が科される犯罪だ。社会的立場と収入を失うだけで済まない。“保護者”として店に呼ばれた妻や子供は、店員に平謝り。一家の大黒柱の不祥事に泣き出す妻や、店員の前でけんかを始める夫婦もいる。家庭崩壊の危機に陥る。
「中高年の万引の原因の一つに家庭のストレスがある」と指摘するのは中部地方のある警察官。「子育ても終わり、夫婦の会話がないので、『女房を困らせよう』と万引した男を調べたことがある」と証言する。
犯罪心理学に詳しい井上敏明・芦屋大学特任教授(臨床心理学博士)は「万引は社会の厳しさを知る少年の通過儀礼だが、50代、60代は少年時代に物がなく、道徳律も厳しかったため万引ができなかった。豊かな時代になり、人生も成功し、これまで抑えてきた欲求がはき出される一種の退行現象ともいえる。まじめで抑制型の人は注意が必要だ」と話している。