日本で唯一、ロシア語の書籍を専門に店頭販売してきた書店「ナウカ」(東京・神田神保町)が9月末、その75年の歴史に静かに幕を閉じた。最新書籍の輸入を通じてソ連・ロシア事情を日本に伝え続けてきたこの書店の歩みには、日本人がこの隣国に抱いてきた関心の変遷が刻まれている。
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閉店を前に在庫処分セールを行ったナウカ書店=8月24日(撮影・遠藤良介) |
ナウカ(ロシア語で科学の意)は数年前から、深刻な売れ行き不振に陥り、この7月に約29億円の負債を抱えて破産手続き開始決定を受けた。背景には、インターネット購入の普及など洋書をめぐる環境変化と、大学での履修者減少といった“ロシア語離れ”がある。
多くの日本人が思い入れを持つロシア文学の需要は比較的堅調であり続けたものの、社会主義思想やソ連科学技術の退潮によりロシアとロシア語の魅力が薄れていく流れに抗しきれなかった。
「ナウカ」の資料によれば、創業者の故大竹博吉氏は1917年のロシア革命から間もない19年に、極東部ウラジオストクに渡露。現地で東京日日(現毎日)新聞の通信員などを務め、帰国後の31年に同店を興した。
英労働党がロシア革命より10年以上も前に結党され、選挙を通じて議席を増し議会で戦うという「議会主義」を当初から貫いてきたのをはじめ、左派、中道左派の政党がおおむね漸進的な改良主義を志向してきた西欧主要国の事情と比べれば、日本では「1917年」への憧憬(しょうけい)が強かった。
大竹氏は社会主義国家建設に強い関心を抱き、この時期にマルクス・エンゲルス2巻選集など社会主義文献を精力的に紹介。しかし、36年には、当時の治安維持法により従業員を逮捕され、店舗も閉鎖に追い込まれた。
営業再開にこぎつけたのは、サンフランシスコ講和条約が発効した後の52年。元従業員は「当時の日本人は水を吸い込む砂のようにソ連の情報を渇望していた」と振り返る。ソ連が世界初の人工衛星「スプートニク」の打ち上げに成功した57年から60年代にかけ、売り上げは最高潮に達した。
第2のピークは、80年代後半のペレストロイカ期に、「ベールに閉ざされていたソ連の姿がようやく見えるようになる」(元従業員)という期待感を背に、やってきた。
だが、それもつかの間、ソ連崩壊で世界が一極化し日露関係の進展も思うに任せない状況から、ロシア語人口の減少には歯止めがかからなかった。
東京外国語大学の渡辺雅司教授は「思想史の読書会の後に必ずナウカに立ち寄り、ベテラン店員に教えを請うのが楽しみだった」と閉店に惜別の情を示し、「今後、ますます日露関係を担う人材が必要になるだけに、日本は英語以外の外国語やロシア研究の重要性にもっと目を向けるべきではないか」と話している。