「イパネマの娘」などで知られるジョビンの曲が5曲。残り7曲は自作曲。ジョビンの曲は「おいしい水」「ワン・ノート・サンバ」という超有名曲がある一方、「スー・アン」のような隠れた名曲も選んでいる。
「これまでの作品でもジョビンの曲を選んできたので、有名な曲はだいたい録音済みなんですよ」
「スー・アン」に至っては楽譜を捜したら、どうも世に出ていないようす。そこで、CDを聴きながら自分で採譜したという。
そこまでしてボサノバにこだわったのはなぜかと尋ねたら、決してボサノバを意識したわけではないという。
「私としては今回はフォービート(の演奏)がないかな、というぐらいのつもり。たまたま最近作る曲が、なぜかボサノバのリズムがいちばんハマる。その結果ということなんです」
では、なぜ最近作った曲はボサノバのリズムが似合うのか? 昨年7月に出したミニアルバム「ノクターン−ピアノ・バラード」がひとつの要因なのだという。
「ノクターン」は、テレビCMのためにクラシックを弾いたのがきっかけとなって作ったクラシック集。
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ノクターン−ピアノ・バラード |
「CMのために弾いて、じゃあ、せっかくだからアルバムも作っちゃおうか、という感じでできた作品。録音に向けて1カ月間でしたが、みっちりと練習をして、おかげで“新しい世界”が見えてくるのではないかというぐらいにピアノを楽に弾けるようになりました」と振り返る。
その練習の合間にピノアに向かった際に生まれた曲が、いずれもボサノバのリズムが似合うものだった。
「クラシックは間違ったらいけないと緊張し続けて練習しましたから、その合間は肩の力が抜けていたんでしょう。だからホッとできる曲が多く生まれ、やはりリラックスできるボサノバのリズムが似合うというわけです」
練習の合間の息抜きでピアノに向かってしまうところが、ピアノ奏者ならではか。ともかく「ノクターン」でクラシックに挑戦した結果のひとつとして、あるいは副産物として新作は生まれたということだ。
「とても心地よく演奏できました」と録音を振り返るが、のんびりとした現場だったわけではない。従来以上に編曲の面で神経を使ったからだという。
「今回は基本的にピアノトリオにギターや打楽器を加えた編成ですが、こういう場合決めごとの多い編曲をしないときれいな演奏にならないんです。ジャズのピアノトリオだったら各演奏家が長い独奏を聴かせたりもしますが、今回は独奏部分も『もう少し聴きたい』と思わせるぐらいに極力抑えました。現場では各演奏家に細かい指示やお願いもしましたし、神経を使う場面が多くて大変でした」
だが、発見した。
「隅々まで神経を使うと聴きやすい作品ができるのだと勉強になりました」
クールエレガントという言葉が似合う。実際、彼女の音楽は涼やかで優美だ。癒しのピアニストなどと呼ぶ人もいるようだ。
「私自身が音色のきれいなピアノが好き。美しい旋律が好き。だから必然と出来上がる音楽もそうなるのかもしれませんね。一般に日本人は短調が好きだとされますが、実は私の作る曲は長調のもののほうが多い。そういう点で心落ち着く要素があるといえるのかもしれません」
もっとも彼女自身は涼やかで優美なだけの女性ではなく、もっとキリッとしたしんが通っている。だから彼女の音楽は優美だけど軟弱ではない、ともいえるかもしれない。
なにしろ学生のとき、英国のハードロックバンド、レインボーのコンサートで舞台によじ上り、ギター奏者、リッチー・ブラックモアがへし折ったギターの残骸を持ち帰ったという勇ましい逸話ももつ。
そんな話を聞いたのはデビュー作「フェアリー・テイル」が世に出たときだったから、平成7年。振り返れば10年以上の時間が過ぎた。
「ノクターン」、そして「タイムスケープ−スタンダード」「ハートスケープ−オリジナル」と昨年出した3作はデビュー10周年を記念した作品だった。ベスト盤「Portrait」を含めて今回で13作めを数える。
「録音作業に慣れというものはなく、いつだって振り返れば苦労があったな、やっとできあがったなという思いになります」
この作品を聴いたある人から「ボサノバは海外のものだけど、あなたの演奏は日本人に懐かしさを感じさせる。ボサノバをとても身近なものにしてくれる」といわれたことを、とても喜んでいる。
「等身大の私が出ていることだと思います。日本人が作った日本のボサノバ作品になっているのだとしたら、とてもうれしいです」
「ボッサ・ノスタルジア」は10年を通過した、次に向けての最初の一歩。背伸びしない彼女らしさをさらに出すことで、新しい世界を届けてくれそうな予感を秘めている。