ナンバ一番 小学校跡地でイベント
大阪の伝説の音楽喫茶 一夜限り“復活”
7月27日(木) 大阪夕刊
大阪・ミナミの戎橋筋商店街に昭和40年代初めまであった伝説の音楽喫茶「ナンバ一番」が29日、一夜限りのメモリアルイベントとして“復活”する。一流ミュージシャンへの登竜門と呼ばれた同喫茶には、内田裕也さんらグループ・サウンズ(GS)ブームを担った若手ミュージシャンらが出演。音楽祭は、「もう一度あの熱気を」と地元商店街らの呼びかけで実現。旧精華小学校跡地(大阪市中央区難波)で開くイベント当日は、「当時をしのぐ熱いライブにしたい」と関係者は張り切っている。
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若いミュージシャンたちの登竜門だった、昭和30年代の「ナンバ一番」(何武雄さん提供) |
同喫茶は昭和30年代初め、実業家の何国華さん(平成9年に死去)が、パチンコ店を5階建てビルに移転した際、ビルの一部で始めた喫茶美術館が前身。30年代半ばに音楽喫茶に業種転換した。
当初、シャンソン歌手らが出演するなど、落ち着いたムードだったが、徐々にロック色が強まった。国華さんの二男、武雄さん(62)が支配人に就任したのは、GSブームが盛り上がりつつあった19歳のときだった。
入場料は1杯300円程度のドリンク代だけで、客席は150余り。関西を代表する音楽喫茶として、数々のミュージシャンがステージに立ち若い男女らが時代の最先端の演奏を楽しんだ。
武雄さんは「若者が一日中入り浸るので店側としては困った。演奏中、若者らが興奮して紙テープを投げ入れていたが、テープのしんが演奏者に何度も当たって…。(演奏者が)怖がるから、しんを抜いて投げるように呼びかけました」と振り返る。
同喫茶の専属バンドだったのが、沢田研二さんも加入していたザ・タイガースの前身、ファニーズ。ボーカルとギターを担当していた加橋かつみさんは「今でいうライブハウスは、当時の関西ではナンバ一番ぐらい。バンド界の登竜門だった。そんなステージに立ち、夢をふくらませた」と懐かしむ。
当時メンバー5人はまだ高校生で、全員が京都在住だったが、たちまち同喫茶で一番人気に成長。その後、東京で活躍していた内田さんの誘いで東京進出、ザ・タイガースとしてメジャーデビューし、成功を収めた。しかし、GSブームの到来とともに出演料が高騰。採算の面からナンバ一番は惜しまれながら幕を閉じた。
“復活イベント”を主催する戎橋筋商店街振興組合(境高彦理事長)は、このところ通行量が激減するなど、ミナミの空洞化を危惧(きぐ)。来春、約80年ぶりとなる戎橋の架け替え工事が終わるのを機に、「もう一度ミナミ・カルチャーを見直そうやないか」と、再生策を考えるイベントを検討してきた。
そうしたなか「戎橋の歴史から考えると、大阪から音楽文化を発信していた『ナンバ一番』しかないだろう」と、当時出演していたミュージシャンらに呼びかけ、音楽祭を開催することにした。
同組合事務局は「魅力あふれる当時の盛り場文化を見直すことを通じ、現在のミナミの新たな魅力を探っていきたい」としている。
当日のイベントは、午後6時から武雄さんと内田さんがトークショー。同7時からは、元タイガースの加橋さんや「加賀テツヤとリンド&リンダース」など、当時の出演者ら8組が演奏する。
武雄さんは「音楽界で成功した古い友達と会えるのが何よりの楽しみ」。加橋さんは「当時のファンのために懐かしい曲をいっぱい聞かせたい」と意気込んでいる。