傾斜床機構備えた稽古場から医務室まで
劇団四季 新稽古場「四季芸術センター」が完成
7月15日(土) ENAK
四季芸術センター劇団四季の新しい稽古(けいこ)場「四季芸術センター(本館)」(横浜市青葉区)が完成し15日正午から、関係者約600人に披露された。(センター内の写真はこちら

新稽古場はこれまで使用していた稽古場(南館)に隣接した地上2階、地下1階建ての細長い建物。傾斜床機構を備えた稽古場など大中小あわせて10の稽古場や全室ピアノ・キーボードを設置した個人レッスン室、最新のマシーンをそろえたトレーニングルームなどがある。また演劇書約5500冊を備えたライブラリー、食堂、医務室なども完備している。

この日は披露式典も行われ、中曽根康弘元首相が乾杯の音頭に続いて日本、韓国、中国の俳優たちが歌や踊りのパフォーマンスを披露。

119人の俳優が歓喜の歌を合唱まずはミュージカル「ライオンキング」より「サークル・オブ・ライフ」(韓国語、金志賢ほか)、「シャドウランド」(韓国語、黒木ますみほか)、「終わりなき夜」(中国語、李涛)が歌われ、続いてミュージカル「オペラ座の怪人」の「シンク オブ ミー」(日本語、西珠美ほか)、劇団四季オリジナルミュージカル「夢から醒めた夢」から「二人の世界」(日本語、吉沢梨絵、木村花代、秋夢子、花田えりか)。最後は保坂知寿、野村玲子ら四季を代表する日本キャストと、韓国・中国キャストが3カ国語で「コーラスライン」の「悔やまない」を合唱。

浅利慶太代表の挨拶に続き、119人の俳優(男優62人、女優57人)たちがベートーベンの「歓喜の歌(第九)」(ドイツ語)を合唱し祝った。

また、特別に過去の作品のポスターや台本、舞台写真などの資料、これまでに使用した舞台衣装などが展示され、54年の劇団の歴史も紹介された。

劇団四季と稽古場
劇団四季は1953年に結成。
創立メンバーでは浅利慶太、日下武史、吉井澄雄、藤本久徳氏の4人が現在も在籍している。
旗揚げ当初は、学生中心のメンバーで専用稽古場などなく、園児が帰ったあとの幼稚園を間借りし稽古をしていた。
1956年、東京・恵比寿駅の近く(渋谷区永住町)に初の稽古場を確保。工場を自分たちで改造したもので、天井には穴が空き、ダルマストーブですきま風に耐えながら創作劇の連続上演などに取り組んだ。
1963年、日生劇場がオープンし、翌年、現在も続く日生名作劇場がスタート。
1965年、参宮橋に稽古場を新設。この稽古場は現在も使用している。
1967年に四季株式会社を設立し、俳優養成のための付属研究所も創設。
1973年の「ジーザス・クライスト=スーパースター」に始まるミュージカル路線の成功で、劇団規模が急激に拡大。これをきっかけに 神奈川・あざみ野の1200坪の土地に四季芸術センター(現南館)を建設した。同時に「キャッツ」のロングランがスタート。これが大成功となりロングラン公演システムが定着し、一気に全国規模へと広がった。
「キャッツ」は全国公演ごとに仮設劇場を建設、そのノウハウが現在の主要都市にある常設劇場へとつながっている。
現在は全国で9つの常設専用劇場を持つ。昨年は東京・浜松町にある四季劇場の隣に稽古場[夏]も新設。
そして今回10の稽古場を持つ「四季芸術センター」が完成し、11演目を超えるカンパニーが同時に公演・稽古するようになった劇団四季を支えている。


spacer.gif

お気軽にメールをください。ここをクリックするとお使いのメールソフトが自動的に起動します。

この画像をクリックするとTVnaviのサイトに飛びます

産経Webは、産経新聞社から記事などのコンテンツ使用許諾を受けた(株)産経デジタルが運営しています。
すべての著作権は、産経新聞社に帰属します。(産業経済新聞社・産経・サンケイ)
(C)2006.The Sankei Shimbun All rights reserved.