「トイ・ストーリー」「ファインディング・ニモ」…と次々にヒットを放ったピクサー社の最新作は、間違いなく同社の最高傑作。
「トイ・ストーリー」シリーズと「バグズ・ライフ」を監督した後は製作総指揮に回っていたジョン・ラセターが6年ぶりに自ら監督しただけのことはあるか。
《都会育ちの人気レーサー、ライトニング・マックイーンは実力はあるもののいささかてんぐになっている。友達も、いない。ピストン・カップというレースで3台が同着1位に。決着は1週間後3台だけで行うレースでつける。次のレース場への移動の途中、トラブルでマックイーンは田舎町ラジエーター・スプリングに取り残されてしまう。町で出合った奇妙な車たちと過ごすうち、マックイーンはただ速く走りレースに勝つことだけを目的にした生き方に疑問をもちはじめる》
■自動車だからこそ
まず、うまいなと感心したのは、今回の主人公が自動車であること。
ウォルト生前のディズニーならいざ知らず、最近の他社では自動車にここまでの生命力を与えることはできないだろう。せいぜいがライオンなどの動物や恐竜だ。
実は主人公自動車である必然性はある。舞台になるラジエーター・スプリングがルート66沿線の町だからだ。かつての米国の大動脈だったこの国道が廃線になったのは1985年。ちょうど20年の節目に作られたわけで、ある年齢以上の米国人は格別の思いで観ることになるのだろう。
そして自動車レースの場面の興奮はアニメならではの魅力にあふれ、これまた主人公が自動車ならではの楽しみだ。
また古き良きハリウッド映画の健全な精神のパッチワークのような物語は人間が演じていたら観るほうが照れくさいが、擬人化された自動車が演じているのだからはばかることなく感情移入ができるという寸法だ。
■再生の物語
前述のように舞台はルート66沿道の町。バイパスができ、迂回されるようになっていまではすっかり廃れている。
ひょんなことからマックイーンはこの町に拘束されることになる。ここで出会うのが気のいいメーターや町の治安を預かるドック・ハドソン。あるいは都会の敏腕女性弁護士だったというサリー。
都会で突っ走っていた主人公が田舎町のスローライフに触れて生き方を見直すという話は、目新しくはない。主人公が本当に“走っていた”自動車であるところにはニヤッとさせられるけれど。
それはともかく、この映画はいくつかの再生の物語になっている。すなわち、マックイーンが人生で大切なものは何かに目覚める。ラジエーター・スプリングという町そのものと、そこに暮らす人々…ではなく自動車たちの再生。その脇役の自動車たちの個性がまた魅力的なのが、いい。
メーターは友情を。サリーは他人を好きになる気持ちを教えてくれる。そしてドック・ハドソンは…。
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メーター(左)とマックイーン。ふたりの夜中のいたずらの場面は宮崎アニメの影響が出ている?
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きっと客席の子供たちはメーターに夢中になるだろうが、僕はこのドックのほうにとてもひかれる。世を捨てた風情のドックのガレージで、マックイーンはあるものを見つけてしまう。それは…。ドックが引きずる過去はドラマに重さをもたせてくれる。
そして最後にはメーターにもサリーにもドックにもほかの自動車たちにも、それぞれスポットライトが当てられる見事なクライマックスは僕たちに無駄な人生などないのだと教えてくれる。
■古き良きスピリッツ
ところでドックの声はかの名優ポール・ニューマンが務めている。レーサーでもあるニューマンには適役だし、ニューマンだからこそ、僕はドックの存在に重厚さを感じたのだろう。
ドックの名前は1951年式ハドソン・ホーネットという車であるからのようだけど、僕はなんとなく1970年代のテレビシリーズ「署長マクミラン」時代のひげをはやしていたころの故ロック・ハドソンを思い出してしまう。
そういえば主人公のマックイーンという名前も故スティーブ・マックイーンへのトリビュートであるような気も。やはりレーサーで「栄光のル・マン」(1971年)という映画も残しているマックイーン。
ニューマン、マックイーン、ルート66…。この映画は古き良きハリウッド、そして古き良き米国へのささげものとしての側面があるのかもしれない。
米国とは無縁の僕たちだけど、なくしたものを慈しみ再生したいと願う気持ちは同じだから共鳴できるのではないだろうか。
さて、ピクサーのアニメを観たことのある方ならすでにご存じだろうが、エンドロールが流れたとたんに席を立たないように。最後の最後にくすりと笑わせる落ちが用意されている。
また、今回も本編の前に短編映画が上映される。「ワン・マン・バンド」というこの短編も見事だ。