フジテレビの人気時代劇ドラマ「大奥」シリーズが映画化された。大奥とは江戸城に配置された将軍の正室ならびに側室の住まいのことで、原則的には将軍以外の男性は立ち入ることができない。
“女の園”を舞台に繰り広げられる女性たちの愛憎、欲望、嫉妬や怨念はいつの時代も恐ろしい。2003年の放送開始から、ひとりの大奥の女帝をヒロインに政治的駆け引きや世継ぎ争い、女のバトルが華々しく展開された。
そんなテレビファンの人気をベースに制作された映画版は、シリーズ第1作で好評だったラブストーリーに方向性を定めている。
プロデューサー、保原賢一郎は映画化について「映画版でも観客がうっとりするようなきれいな恋愛を心がけた。題材は当時の実話『絵島生島(えじまいくしま)事件』(1714年)で、これまでのテレビシリーズの延長線上にある要素と新たなものを織り交ぜ、泣けるドラマにした」と語る。
<<時は徳川15代のなかでも最年少、4歳で将軍となった7代将軍、家継の時代。そのため後見人となった側用人、間部詮房(及川光博)が実権を握った。大奥では、先代将軍家宣の正室、天英院(高島礼子)派と、側室から将軍の生母となった月光院(井川遥)派とが対立。そんななか若くして大奥総取締に昇格した絵島(仲間由紀恵)は日々、月光院の地位を案じ、奮闘していた。聡明で女中たちからも人気のある絵島を心よく思わない天英院らは不満を募らせ、絵島を陥れようとする…>>
物語は2つの恋が対照的に描かれる。月光院と間部の密かな逢引き。そして、歌舞伎役者、生島新五郎に揺れる絵島のはかない恋慕。観客はどちらに心を揺さぶられるか、というとやはり絵島の「自分に厳しい恋」だろう。
また、さまざまな人物が野心をもって出世、保身に画策、だれもが空回りや肩透かしに終わり、悲恋であっても絵島の清廉な生きざまが胸をすく構成は時代劇の王道ともいえるのかもしれない。
家宣の死後、すがるように間部を慕い女性の愉悦を満たす月光院。世継ぎの母親という最高の特権を持ちながらも、どこか自信のない所作に絵島は親近感を覚え、献身的に支える。が、絵島はこれまで男性を知らずに生きてきた。
月光院の敵役、天英院はそんな絵島の純潔につけこむ。女中、宮路(杉田かおる)を手先に絵島と人気歌舞伎役者、生島新五郎(西島秀俊)を引き合わせ、次第に絵島の心を月光院から切り離そうと企むのだった。そうすれば大奥では月光院も孤立無援。一方で月光院と親密な間部でさえも失墜させることができる。
この宮路を演じる女優、杉田かおるがなんともいじらしい。天英院に上手につかわれ、わなのはずが生島からは絵島への純愛を打ち明けられる。だれだってみじめだろう。杉田がそんな女の怨念を眼力だけで訴えてくるのだからすご味がある。
その宮路の計画にのった生島を、絵島は大奥を仕切る重責とプライドで警戒し、相手にもしなかった。が、次第に生島と時間を重ねるなか、頭から離れなくなる。そして、ある事件をきかっけに生島から「一緒に逃げよう」と手を引かれた絵島は、“大奥の絵島”で生きるのか、ただの女で生きるのかを決意する。
選択したのはそのどちらでもなかったのかもしれない。後に絵島ほか月光院派の女たちは実話「絵島生島事件」ごとく大目付や老中から叱責され、厳しい処分が下る。思惑どおりに絵島を追い詰めた天英院は切り札とばかりに生島について問いただすが、一向に絵島は真実を語ろうとしない。静かでなお強い眼差しで天英院に向き合うのだ。
月光院を守ること、生島をかばうこと、そうではないような気がした。大奥でまとった心のよろいを生島との出会いで解いた。理性でふたをしても、心があらがう。それを愛と覚えた絵島の意地ではないだろうか。
事件後、絵島の処遇を悲しむ月光院をさとす言葉に本作の醍醐味が隠されていた。それは豪華絢爛な舞台よりもまぶしい。