「男って優しいだけでいいの?」
恋に悩む女性のつぶやき、ではない。女性が抱く男性観に対する男性側からの不服の言葉だ。
映画「ダニエラという女」は、絶世のイタリア美女、ダニエラ(モニカ・ベルッチ)が真実の愛を見つけていく物語。言い寄る男性をふるいにかけながら、最後に残ったのが本当の幸せ、というシナリオではない。
ダニエラはパリの場末で働く娼婦。ある晩、宝くじで大金を手にした平凡な男、フランソワがダニエラのもとへやってきて「賞金が底をつくまで僕と暮らしてほしい」と申し出る。「優しくする」ことを条件にダニエラは男の部屋に引越した。が、幸福な日々は長くは続かなかった。
バブル期にもてはやされた言葉で、女性にとっての恋人の決め手に「3高(サンコウ)」という尺度があった。高学歴、高収入、高身長−だ。男性だって異性に、遺伝的にも、社会的にも恵まれた状況を求めるだろう。
でも、パートナー探しはもっと自分の欲望に忠実でいいのではないか、というのがこの映画の狙い。
癖のある自由奔放な恋愛をテーマに、男女の可能性を無限に引き出すフランスの巨匠、ベルトラン・ブリエ監督(67)が手がけた。ちなみに監督の父は名優、ベルナール・ブリエ。
困ることがない資金のなかで生活を始める2人。存分に愛を分かち合う暮らしに見えるが、ある日、ダニエラは荷物をまとめフランソワの部屋から姿を消す。探しに出かけたフランソワは、2人が出会った店でまたしても客を待つダニエラの姿を見る。
ダニエラには腐れ縁の愛人、シャルリー(ジェラール・ドバルデュー)がいた。ぜいたくな暮らしをしたいならフランソワだって遜色はない。ダニエラは、なぜ離れたのか?
ダニエラはフランソワにこう言い放つ。
「愛されることが特技、私はそういう女」
ブリエ監督は、ダニエラを演じる女優、モニカ・ベルッチにほれ込み、モニカの美しさのすべてを引き出すために娼婦にさせた。
モニカは撮影の間に出産を体験し、ボディーラインには産後のふくよかさが目立つ場面も多い。ブリエ監督は、その変化も含めてイタリアの宝石ともいわれるモニカの美だとフィルムに収め、賞賛した。
もちろんこの映画に見ごたえがあるのは、モニカに捧げた作品であるばかりではなく、女性の芯(しん)に触れようとしたことにある。
ダニエラの愛人、シャルリーはフランソワに「彼女を売ってやる」と持ちかける。提示された額は奇しくもフランソワが手にした大金と大差ない。シャルリーのそばのダニエラからは答えが見えない。
フランソワはその提案にある決断をくだすが、ダニエラはかみつく。このセリフが物語のすべてを集約している。
「あなたが私の自由を買ったとしても、私の自由は私のものよ」
恋愛が“お国自慢”のひとつともいえるフランス。言葉にもセンスが際立つ。そんなエスプリを楽しんでいるのもつかの間。ブリエ監督は、ここから観客をアッといわせる展開にする。
フランソワが真実を語るのだ。そして、ダニエラは自らが主張した「自由」を問いつめる。
イソップ物語のひとつ「北風と太陽」に似ている。男性には北風と太陽がある。北風はコートを吹き飛ばそうとするが、人は寒いからますますしっかりとコートを着る。が、太陽が照り始めると自らの意志でコートを脱ぐ。
“北風”でダニエラに立ち向かう男性からは、冒頭の不満の言葉が口をつく。
年を重ねると恋愛も打算的になりかねない。本質的な愛を勝ち得たい人は、本作で最後まで太陽を追いかけてほしい。