「CDを貸したままだったな」
米同時多発テロが起きた数日後、あきらめと無念がにじむような声で知人が話した。貸した相手である同僚は、ハイジャックされた民間機が激突した世界貿易センタービル内のオフィスに勤務し、テロの犠牲になった。
当時、飛行機ごとビルに体当たりする行為そのものに驚き、恐怖を感じたが、私は知人のこの“日常的な”言葉で、崩れ落ちるビルのなかで亡くなった人の命の重みをようやくかみしめた。
その「9・11」が5年の年月をへて映画化された。ハイジャックされた4機の民間機のうち、ペンシルバニア州の山林へ墜落した1機「ユナイテッド航空93便」をドキュメンタリータッチで描いた。
監督は「ブラディ・サンデー(血の日曜日)」(2002年)でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞し、「ボーン・スプレマシー」なども手がけたポール・グリーングラス。米国に深い影を落とし、世界に大きな衝撃を与えた「9・11」を、わずか5年目で扱うべきか苦悶した。
「これほど痛ましい事実を、どの時点でスクリーンで語っていいのか、常に疑問を抱いていた」
世界貿易センタービル北棟に最初の民間機が激突したのは午前8時46分。93便はその4分前に離陸し、午前10時3分に墜落するまでの約80分間滞空していた。穏やかな機内はしばらくして4人のテロリストたちに占拠された。乗客乗員は座席に備え付けられた電話で地上とのやりとりを試み、その結果ワールド・トレード・センターの悲劇、続いて国防総省(ペンタゴン)への墜落を知る。
乗客のテロリストへの抵抗は墜落までの30分間続いたとされるが、機内での出来事はもはやだれにも分からない。
せりふは、亡くなった40人の遺族や航空管制官、軍関係者などへの膨大なインタビュー、乗客乗員の地上との交信記録に基づいたものだけにしぼり、ほかは俳優たちの即興にゆだねた。そのため無声が支配する場面もあるが、乗客の表情と異常音はむしろその脅威を雄弁に物語る。
俳優たちは実際の乗客の性別や年齢、職業を反映させながら慎重に選ばれた。事件当日、全米を飛ぶ約4500機の機体に、着陸、待機命令を出した連邦航空局(FAA)の司令官、ベン・スライニー氏は自身の役で出演してもいる。客室乗務員の経験がある女優も起用された。
管制塔の撮影では、俳優たちはカメラフレームに入っていないことが分かっていてもすべてのテイクに参加して作品の意義に敬意を払った。
映画の結末が真実である、とは言わない。グリーングラス監督は乗客が最後までテロリストに立ち向かった事実に、絶望のなかにあってさえ生きようとする人間の力という主題をこめたのだろう。
ある遺族は作品にメッセージを送った。
「今、生きていることの大切さを感じてもらえたらと願っています」
この映画の意義はこの言葉にある。私はその実感を、友人とのCD1枚、本1冊のささやかなやりとりにもう一度、重ねた。