中学時代のいじめ体験と自殺未遂をきっかけに非行に走り、恩人との出会いと懸命の努力で立ち直った元大阪市助役で弁護士、大平光代さん(41)が9月、女児を出産した。危険なお産の後、娘はダウン症と合併症の心臓疾患を抱えていることがわかったが「(母親としての)覚悟を決めるには1秒あれば足りた」という。娘の誕生と自らの経験を重ねあわせ、多発するいじめ問題など厳しい時代を子供たちが生き抜くために「大人が『道標(みちしるべ)』にならなければ」と語る。
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自分なりに障害を克服してほしいと名付けた「悠ちゃん」を抱き大平さんは「(悠ちゃんが)迷ったときの『道標』になりたい」 |
「報告せなあかんことがある」。出産したその日、生まれたばかりの娘が、ダウン症だということを夫が切り出した。
「わたしは『あっそう』という感じだったんです。わたしらにできることを精いっぱいやろう。どういうハンディを背負っていてもそれがその子自身なんやから。覚悟を決めるには、1秒あれば足りました」
予定より1カ月近く早まったお産は、母体にとっても極めて危険なものになった。多量出血や呼吸困難に加え、出産後には切開部が壊死(えし)するという予想もしない事態に見舞われた。体調は今も万全ではない。
娘は「悠(はるか)」と名付けた。障害を背負っていても、自分なりの調子でゆっくり歩んでいってくれたらいい、そんな思いを込めた。だが、その小さな心臓は疾患を抱え、年明けにも手術の必要があるという。
「娘が苦しそうな表情を見せたときには、もうだめかと思うこともあります。替わってあげたいと心底思うのですが…」。つらさやしんどさもできるだけ隠さず、ともに生きようと思っている。
「毎日、葛藤(かっとう)もあるけれど、一緒に生きていく存在ができた。生まれてきた以上、たいしたことではなくても、なにか世の中の役に立つように育ってほしい」。ダウン症に関する本を買い集め、夫婦で猛勉強しながらの子育てが始まっている。
子育てのために親が自分を犠牲にしたという重圧を娘に与えないためにも、弁護士活動も可能な範囲で再開した。
「母親というより、人生の先輩でいたい。迷ったときの『道標』になりたいんです」
「道標」という言葉の根底には、10代のころの忘れることのできない経験がある。中学時代に過酷ないじめにあったことをきっかけに、割腹自殺を図った。非行に走り、16歳で暴力団組長と結婚するなど、出口を見つけられずにどん底でもがき苦しんだ。
あのとき、「よき人生の師」と呼べる存在を1人でも見つけていれば、反発しながらももっと早く立ち直れていたのではないか。子供同士のつながりももちろん大切だが、子供が生き地獄から抜け出すための「道標」を示す役目は、大人にこそ求められている。自分が何人もの大人の手助けを受けて立ち直った経験があるからこそ、それを身にしみて感じている。
「いま大人たち自身が余裕を失い、世の中のストレスが子供たちに向かっています。唯一自分らしさを発揮できる場面が、弱い立場の人間をいじめるときでは、いじめる側だってしんどいんです。いじめをなくしていくためには、いじめられている子も、いじめている子も、もっと楽にしてあげなければ」と語った。