個人用のコンピューター「パソコン」が生まれて今月で4半世紀を迎えた。誰も想像しなかったスピードと規模で世界を変えたパソコンは、進化を続けるインターネットの波に洗われ、早くも輝かしい歴史に幕を引きつつある。わずか25年間の栄枯盛衰を感慨を込めて論じる欧米のメディアも少なくない。
25年前に誕生したのは米IBMが1981年8月12日に発表したコンピューター「IBM−5150」だった。
「パーソナル・コンピューター」という名称がこの機種より前に存在しなかったわけではないが、ほとんどが娯楽や趣味の世界にとどまっていた。IBMというビッグネームはビジネス現場で絶大なる影響力を持った。米パソコン雑誌PCワールド(電子版)は「IBMという名前がおそらく一番大きな成功要因だった」と指摘する。
実はIBMは「5150」以前に個人用コンピューターの発売を試みたが、あまりに高価過ぎて失敗。この教訓から「5150」は汎用部品を用いて価格を抑える戦略(発売当時の価格は1565ドル)を採用した。さらに仕様も公表して、誰もが開発や製造に参加できるようにした。
第三者が自由に参加できるこの「開かれた仕様」に当時の若者は熱狂した。その一人が「5150」に基本ソフト(OS)を提供したマイクロソフトのビル・ゲイツ氏(現会長)。ゲイツ氏は82年のインタビューに「IBMの計画は最高に刺激的でおもしろい」と語っている。
同時に「開かれた仕様」はIBMでない第三者メーカーに「互換機」を組み立てて自由に販売できる道を開き、パソコンのビジネス規模は一気に膨らんだ。
IT関連のニュースサイト「CNET」の編集者チャールズ・クーパー氏は「コンピューターの世界でIBM−PCのデビューほど大きな事件は(インターネットの)ウェブの発明を含めてその後起きていないと言っていい」と振り返る。英誌エコノミストによると、現在、米国では100人に70台の割合でパソコンが普及しているという。
しかし当のIBMはパソコン事業から足を洗っている。昨年、IBMは中国の聯想(レノボ)に事業部を売却した。高度経済成長を続ける中国へ製造業の重心が移動したといえばそれまでだが、複雑な構造のパソコンを、汎用部品を利用して誰でも簡単に組み立てられるようにしたのは、先頭ランナーのIBMにほかならない。その独創性や革新性が皮肉にも中国への産業移転という結末を招いたのだった。
もっとも、そのパソコンですら急激なインターネットの進化によって変化を迫られている。これまでパソコンが担ってきた役割の多くが、グーグルなどの検索サイトによってインターネット上で提供されるさまざまなサービスに取って代わられつつあるからだ。
英BBCは、マイクロソフトが7月、株主に対して「パソコンの時代は終わりに近づいている」と述べたと紹介。「インターネット上で作業を行えるソフトの登場がパソコンの支配的な地位を揺るがしている」と指摘している。