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「ストレンジャー」
「化け物使い」とビリー・ジョエル
猛暑お見舞い申し上げます。寄席じゃ相変わらずお化け、幽霊が大活躍。

ストレンジャー まず怪談ひとくち噺をご紹介。幽霊が出るのはなぜか草木も眠る丑(うし)三つ時と決まっています。年寄り夫婦のところに夜中の2時ごろ、けたたましく電話のベル。おばあさんが出て戻るとおじいさんが「こんな夜中にだれから電話だ?」「はい、3年前に死んだせがれからでしたよ」「なに、せがれから? いったいせがれは、こんな夜中にどこから電話をしたんだろう?」「おそらく市外(死骸)電話でしょう」。これは受けます。

亡き三代目桂三木助師匠が得意だった「化け物使い」は実にバカバカしくてとても滑稽でした。人使いが荒いために奉公人、使用人がすぐに辞めてなかなかいつかないというご隠居さんの噺。

お化けが出るといううわさの空き家に引っ越したのだが、最初の晩に出てきたお化けは一つ目小僧。怖がるどころかぞうきんがけや使い走りなど、次々と用事をいいつける。次の晩は大入道。これも朝から晩までこき使われるばかり。給金もくれない。ついにお化けが勢ぞろいして「こんなに化け物使いの荒い家にはいられないのでお暇をいただきます」。実に滑稽でした。

この噺を思い出しているとテレビでビリー・ジョエルの曲で構成されたブロードウエーミュージカル「ムーヴィン・アウト」を映像で紹介している。「ビリー・ジョエルのことならおれに任せろ」とさけんじゃった。

テレビを観ているとこのミュージカルの日本公演に招待された大物スターが続々会場に。なぜおれを招待しないんだと思いながら取り出したのは大ヒット出世作といわれるアルバム「ストレンジャー」。のっけからのりのいいロックンロールナンバーで、ミュージカルのタイトルにもなった「ムーヴィン・アウト」。続いては大ヒットした、都会の哀愁を漂わせる「ストレンジャー」。ニューヨークのにおいプンプン。すぐに飛んでいきたくなっちゃう。1977年ごろのラジオはこの曲ばかりかかっていた。そして2つもグラミー賞をもらっちゃった「素顔のままで」は、親しみやすいメロディーで大ヒット。

まさにニューヨークの顔であるこのビリーなしでは70年代後半は夜も日も明けなかった。

どうか、ビリー・ジョエルさんから、この栄枝師匠もミュージカルに招待するよう言っといてください。よろしく。

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(2)「寿限無」とC.C.R
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profile
しゅんぷうてい・えいし
落語家

東京都豊島区出身。
昭和32年3月 京華高等学校卒業
昭和32年10月 8代目春風亭柳枝に入門
昭和34年12月 同師匠没後8代目林家正蔵に移門「林家枝二」
昭和35年8月 二つ目昇進
昭和48年3月 真打ち昇進
昭和57年1月 師匠彦六(正蔵改め)死去
昭和58年7月 7代目春風亭栄枝を襲名