ENAK編集部のインタビュー記事です
産経新聞ENAK
 TOPページ > 記事
spacer.gif
いっこく堂
spacer.gif
spacer.gif
テレビなどでもすっかりおなじみの腹話術師、いや、ボイス・イリュージョン、いっこく堂(42)が、DVD「世界を我が手に?」(ポニーキャニオン)を出した。昨年11月、東京・読売ホールで行った公演の模様を収めている。すでに米国、中国での公演を成功させている。11月には上海、香港などアジアツアーも控えている。演劇に行き詰まり、子供のころに見て印象に残った腹話術に独力で挑戦して、独自の歩みを始めた。「観たら元気が出る。そんな芸をお見せしたい」と語るいっこく堂に話を聞いた。
text & photo by ENAK編集長


“天才”も緊張する
DVD「世界を我が手に?」は昨年11月6日、東京・読売ホールで行った同名公演の模様を収め、特典として中国公演の映像、青島幸男の協力を得た警察官コンとなども観ることができる。2体の人形を駆使し、さらには絵画など人形以外のものまで、自分の口を微動だにしないまま、しゃべらせてしまう、いっこく堂のさまざまな芸を一気に体験できる。

いっしょにいるのは師匠(左)とジョージ。現在の“相棒”は33体。自宅には人形の部屋がある
いっしょにいるのは師匠(左)とジョージ。現在の“相棒”は33体。自宅には人形の部屋がある
映像作品を出すことは、どういう意味をもつのだろう。人形がしゃべっているかのような驚き、楽しさを提供してくれる腹話術は、その場で、ライブで観ることがいちばんなのではないかと思ったりもするのだが。

「やはり後に残るものを残したいです。それからテレビではだいたい3〜8分の芸しか見せられません。したがって公演でお見せしているようなストーリーのあるものは難しい。公演の模様を収めたDVDを出すことは、ふだんはこういうことをしているんですよというアピールになります。さらにDVDをきっかけに生の公演を観たいと思っていただけるかもしれない」

公演は約2時間。このDVDの場合、「名探偵登場! 犯人は誰だ!」「西遊記」など7つの演目を披露する。人形という相棒がいるとはいえ、ひとりで出ずっぱりのしゃべりっぱなしだ。

ところで、テレビと違って客席と距離のある舞台。つい口が大きく動いてしまったりはしないのだろうか?

「いえ、それはないですね。口は動かすまいと常々意識はしていますから。逆にいうと油断をすると動いちゃうんです。だから、舞台だろうがテレビだろうが、ともかく油断しないよう心がけています。ただ、人形の動き、表情を考えながら、かつ口を動かさないようにするのは本当に難しいんです」

天才的な芸とも言われるが、不断の努力のたまものであることがうかがえる。DVD用の撮影が行われたときは、やはり緊張したのだ、とも明かす。さらに、本当は自分で自分の映像を見るのは好きではない、とも。

「テレビでもそうですが、きょうの芸にはちょっと納得がいかなかったな、と思ったりしたら、もうそのときの映像は見たくなくなります。そもそも反省材料としてしか観ることがてきません。自分で自分の生の舞台を観られたらいいのにな」

「あんた、あがっていたね」で奮起
ところで、いったい何がきっかけで腹話術師、いやボイス・イリュージョニストになったのだろう。腹話術との出会いは10代のときにさかのぼる。

「中学2年生のとき警察官による交通安全啓蒙活動の腹話術を見たのが出合いでした」

自分も腹話術をやりたいという人へ。ちょっと試してみて、これはやれそうだぞ、と思ったならやってみてください。そうでないのなら、きっとほかに自分に合ったものがあるはずです
自分も腹話術をやりたいという人へ。ちょっと試してみて、これはやれそうだぞ、と思ったならやってみてください。そうでないのなら、きっとほかに自分に合ったものがあるはずです


ごくありきたりの出合いだ。が、少年いっこく堂は、自分でも腹話術をやりたいと願い、このとき行動に移した。

「まず、腹話術の人形がほしいと警察署に電話をしました。警察で人形を売っていると思ったんですね。でもないという。次に五月人形などを売っている老舗人形店にも次々に問い合わせたんですけど、やっぱりないという。実はそこで腹話術に対する熱はさめてしまったんです」

それから1年ぐらいたつとテレビドラマで西田敏行を観て役者を志すようになり、「度胸をつけるため」学校の先生の物まねなどを始める。高校3年生のときにはテレビの物まね番組に出演し、優勝したりする。高校を卒業すると沖縄から上京し、劇団に入って役者を志す。しかし、役者に行き詰まる。

「27、28歳のころでした。自分は集団行動が苦手だから役者には向いていないんじゃないか。なにかひとりでできることはないかと考え始めて」

そのとき思い出したのが腹話術だったという。なぜ、腹話術だったのか。唐突な気もするが…。

「自分でもよく分からなかったけれど、ともかく腹話術を思い出したんです。僕は腹話術をやりたかった。ただ、ただ、やりたかったんです」

もちろん、周囲は反対し、あきれもした。

「ばかじゃないのかと言われましたね。そんな未来のない芸をやってどうするのかとも」

未来のない芸−。確かに腹話術に対する認識はそんなものなのかもしれない。後にいっこく堂は米ラスベガスで行われた世界腹話術フェスティバルに出ているように世界各地にすぐれた腹話術師はいる。が、各国での認識も日本とは変わりないのだという。

「例えば米国ではラスベガスのショーのひとつであって、ラスベガスにいったことのない人は、たぶんほとんど知らないでしょう」

だが、その芸に挑戦することにした。周りの声も聞かずに。しかも独学で。師匠は、図書館で見つけた入門書だけ。実演は中2のときに女性警察官によるものを観たかぎり。

自宅で鏡の前で稽古を重ね、施設の慰問などを続けた。29歳のときだった。芸が終わると入所者から「あんた、あがっていたね」と指摘された。「なんだ、自分はちっとも喜んでもらっていないじゃないか!」。むしろ気を遣わせていたのか。それが悔しかった。「きちんと認められる芸にしたい」。そのとき、“プロの腹話術師”になると決意した。

元気の出る芸であれ
無手勝流なのがよかったのかもしれない。通常の腹話術で使う人形は1体。いっこく堂は、 セオリーを気にしなかったから、こちらのほうが楽しいのではないか、と2体にした。

入門書には「高い声を出しましょう」とあったが、これも低い声だっていいのでは? と、自分で判断した。もっとも、そうするうちにのどに痛みが走るようになり、驚いたことはあった。「入門書の教えにそむいたからか」と焦ったが、たまたまのどに膿疱ができたからで、しかも声の使い方とは無関係という診断だった。治した後は安心感も手伝って、もっと多彩な声が出せるようになった。

ボイス・イリュージョンという言葉は、ある大学の文化祭に出演した際、学生が「イリュージョンボイス」という言葉をポスターで使っていたのをみつけて「これを使わせて」と頼んだ。以来、自らの芸をボイス・イリュージョンと呼んでいる
ボイス・イリュージョンという言葉は、ある大学の文化祭に出演した際、学生が「イリュージョンボイス」という言葉をポスターで使っていたのをみつけて「これを使わせて」と頼んだ。以来、自らの芸をボイス・イリュージョンと呼んでいる。人形を使わない芸、口の動きと時間差で声が聞こえる時間差芸なども含めて“声の魔術師”というわけだ


こうして平成10年ごろから徐々に注目を集め始め、その後の活躍はご存じのとおり。

それにしても、“未来のない芸”といわれた腹話術を途中で捨てず、可能性を広げることにまで成功した、その“持続力”の秘密はどこにあるのか?

「僕には自分を信じ込む才能があるんです。昔から、願えばかなうという信念がありました。30歳過ぎてアルバイトで食いつなぎながら腹話術を勉強していたときだって、自分は運がいいんだと思っていたぐらいですから」

これから何を目指すのか。

「ボランティア活動から始めたわけですから、調子に乗りすぎず、もっと売れたいなどとも考えず、間違った方向にいかないようにすればいいと考えています。ただ、世界的に認められたいという気持ちはあります。だって、そうすれば世界中の人に喜んでいただけるわけですから」

2000年の世界腹話術フェスティバル出演を機に海外での公演を増やしている。04年には中国・上海国際芸術祭に出演。ほとんどの人が腹話術を知らないという中国の観客を驚かせた。もちろん中国語で話した。外国語の場合、くちびるを合わせなくてはできない発音がある場合も。中でも韓国語は難しいという。が、いずれは韓国で公演したいと考えている。

11月には上海を皮切りに香港、フィリピン、シンガポール、マレーシア、バンコク、シドニーで公演予定。フィリピンではタガログ語に挑戦する。

「続けている以上は、『これを観たら元気になれる』という芸であってほしいです。実は自分でも、これがどういう芸なのか、まだ明確に分かっていません。ただ、腹話術って絶対に子供が興味をもってくれます。こういう芸ってほかにはなかなかないですよね? 子供たちにメッセージを送る。そういうあり方があっていいのかなと考えています」

トップページに戻ります








spacer.gif
information

発売元のポニーキャニオンのサイトに飛びます

世界を我が手に?
ポニーキャニオン/PCBE-11740
¥3,990
  1. 犯人は誰だ!
  2. 西遊記
  3. 展覧会の絵
  4. 魔法のお姫様
  5. かんちゃんシリーズ3部作



profile
本名・玉城一石 昭和38年5月27日 沖縄県で生まれる。

昭和57年、高校を卒業し上京。61年、劇団民藝入団。
平成4年、劇団を休み、5年、いっこく堂を名乗って2つの人形を操る腹話術を始める。
10年、ニッポン放送「高田文夫プロデュース・OWARAIゴールドラッシュ2」で優勝。
11年、「平成11年度文化庁芸術祭新人賞」受賞
「第16回浅草芸能大賞新人賞」受賞
「第50回NHK紅白歌合戦」の応援ゲストに。
12年、ラスベガスで行われた「世界腹話術フェスティバル」に出演。 日本人として初めてオープニングを飾り、話題に。
16年、「中国・上海国際芸術祭」に出演。 上海・ポートマンホールで2公演行い、中国で驚きをもって迎えられる。

以上 公式サイトより

spacer.gif
ENAK編集部のインタビュー記事です