ENAK編集部のインタビュー記事です
産経新聞ENAK
 TOPページ > 記事
spacer.gif
松崎しげる インタビュー
spacer.gif
spacer.gif
歌手の松崎しげる(55)が、でデビュー35周年を迎えた。2日にこれを記念した作品「My Favorite Songs」(CDとDVDのセット)を発売。ヒットチャートにぎわす存在ではもうなくなったにもかかわらず、“まつざきしげる色”なる水彩絵の具が作られたり、音楽配信サービスで代表曲「愛のメモリー」が首位になったり…。なぜか世代を超えてその存在は認知され続けている。不思議な存在感を放ち続ける松崎の、35年の足跡を振り返りつつ、音楽へのつきぬ意欲を聞いた。
text & photo by ENAK編集長


ミルク
やはり色黒の方だなあ。失礼ながら第一印象は、やはりこれだった。テレビ番組がきっかけでサクラクレパス(本社・大阪市)は、その肌の色を再現した「まつざきしげるいろ」を作った。存在が世代を超えて認知されていることを改めて証明した。

松崎しげる 米アップルコンピュータの音楽配信サービスiTMS(アイチューンズ・ミュージック・ストア)が日本で始った際、曲単位での取り込み数でナンバーワンに輝いたのは代表曲「愛のメモリー」だった。

iTMSの「i」と「愛」をひっかけて、サービス開始の「メモリー」として利用者らが連帯して取り込んだという説もあるが、どんな理由にしても曲と歌い手とが認知されていなければ、選ばれなかっただろう。

松崎しげるは不思議な存在だ。

昭和45年12月にシングル「8760回のアイラヴユー」でデビューした。失礼ながらこの歌は知らなかった。

「そうでしょうね。『黄色い麦わら帽子』(47年)がデビュー曲だと思っている人も多いですから」

「黄色い麦わら帽子」はチョコレートのテレビCMで使われ、歌声を“茶の間”に届けた。

音楽活動はデビュー前の昭和42年後半ごろから始めた。ミルクというバンドで米軍キャンプなどを回っていたのだ。

「ちょうどGS(グループサウンズ)ブームが下降線をたどり始めたころですよ」

徹夜練習後リハーサルスタジオの向かいにあった牛乳店で必ず牛乳を買って飲んでいたことに由来してつけたバンド名。ロックバンドに似合わない名前だが、「当時はクリームとかヴァニラ・ファッジとかが出てきていたから、これだという感じでした」。

発案者は当時バンドのマネジャーだった宇崎竜童。「ミルクならアイスでもホットでもいける」。幅広い音楽に対応できるというニュアンスか。

「愛の微笑」
松崎はミルクを辞めて「8760回のアイラヴユー」でソロデビュー。「要するにヤング演歌でした」と、お気に入りとはいいがたい歌のよう。ヒットもせず仕事はもっぱらスタジオワーク。CMソングの録音などだった。

ギターが大好き。60本近いコレクションを誇る。通常の右利き用のものをサウスポーで弾きこなすが、ステージその腕前を披露したことはない
ギターが大好き。60本近いコレクションを誇る。通常の右利き用のものをサウスポーで弾きこなすが、ステージその腕前を披露したことはない
ちょうど松崎のデビュー1カ月前にミルクの盟友だった堀内護と日高富明が大野真澄とともに3人組のガロを結成。48年、「学生街の喫茶店」がヒットチャートの首位を独占し、大いに注目される。

同じ48年にはミルクのマネジャーだった宇崎がダウン・タウン・ブギウギ・バンドを率いてデビュー。翌49年に「スモーキン・ブギ」、50年に「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」のヒットを飛ばして時代の寵児になった。

松崎は、というと相変わらずCM仕事ばかり「CMソングなら朝から晩までテレビ、ラジオから歌声が流れる。こういう歌手もいていいというあきらめもあった」と振り返る。

「裏方(顔の出ないCMソングの仕事)ばかりだったから、自己表現の場として外国の音楽祭に出てみよう」と、1976(昭和51)年のスペイン・マジョルカ音楽祭に出ることにした。

その際、作曲家の馬飼野康二と「スペインは情熱の国だから情熱的な歌を作ろう」と話し合いながら、わずか3時間で「愛の微笑」という歌をこしらえた。作詞はたかたかし。いまでこそ演歌作詞の御大だが、当時はポップスも書いた。たかは、万葉集の中のある歌から歌詞のアイデアをひねりだしたのだという。

「バンド時代に近い感覚で作ることができた歌だった」

大いに気に入った「愛の微笑」をひっさげて、マジョルカ音楽祭では堂々2位に入賞。最優秀歌唱賞ももらった。日本でも話題になっているだろう。トロフィーを抱えて意気揚々羽田空港に降り立ったが、空港に報道陣の姿はなかった。

それならレコードにしようとレコード会社にかけあうと「こんな歌、売れるはずない」とけんもほろろだった。

埋もれかけた「愛の微笑」に光が当たるきっかけを作ったのは、やはりテレビCMだった。「黄色い麦わら帽子」などを使った菓子メーカーが新しいCMソングを探しているとことを知り、聴かせたところ「美しい人生よ〜」の歌詞のところで、「これだ!」と決まった。

するとレコード会社もレコード化にOK。「愛の微笑」は「愛のメモリー」と改まり、52年にシングルで発売されるや松崎の名前を一気に高める。

「CMソングをシングルにする、CMソングからヒットする、そのはしりだったと思います。この歌でNHK紅白歌合戦にも出ましたが、当時のNHKがよくCMソングで出させてくれた。これも、第一号だったかもしれません」

「愛のメモリー」
「愛のメモリー」の力強い熱唱は“パワーの松崎”という印象を広めた。ちなみに歌の終盤「あ〜」と歌う部分の音は高いド。実声で、しかもしっかりとこの音が出せる男性歌手は多くない。「布施明クンだって出せないんですよ」という松崎の顔は誇らしげだ。

松崎しげる 「野球少年でスポーツ好きだったからか、けっこう強引に“自分を作る”ようなところがあります。繊細に作り上げたら“レッドゾーン”に入った際に“折れて”しまうのではないかという考えがあって。僕はまず“大きい部分”から作り始めます」 

ちなみに「愛のメモリー」は第50回(53年)選抜高校野球大会入場行進曲に選ばれた。野球少年だった松崎にはこのうえもなく光栄だったという。

しかし、いつまでたっても松崎しげる=「愛のメモリー」という固定的なイメージでいいのか?

「『愛のメモリー』に“ぶら下がっている”つもりは、まったくありません。今回も録音していますが、これで7種類目になります。『愛のメモリー』は進化しているんです。さらに来年はボサノバ版を録音するかもしれない、という具合に。歌っていてまったくあきないし、いつも新鮮。そして難しい。まるで自分の顔のようです」

歌自体がもつパワーがほかの楽曲とは明らかに異なるのだということだ。iTMSで取り込み数ナンバーワンになるなど、自分のまったく知らないところでこの歌が“育つ”のも、そういうことなのではないかという。

「ヒット曲には2種類あります。ひとつはその時代にしか歌えないもの。こういう歌は、ある年齢になったら愛くるしくも懐かしい思いで歌える面もあります。『黄色い麦わら帽子』がそうですね。もうひとつが『愛のメモリー』のようにどんどん進化する歌。だから自分自身も進化しないといけないと常に思っています」

いとしい歌たち
その進化する「愛のメモリー」の最新版が聴けるのが、アルバム「My Favorite Songs」だ。ジャンルを超えて愛する10曲を選び、プラハでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を従えて録音した。

プラハで録音したのは、音楽仲間からチェコ・フィルのすごさと、録音を行ったドボルザークホールの音響のすばらしさを聞かされていたからだ。

松崎しげる 「チェコ・フィルはミスに対しても非常に厳しい楽団でしたが、ともかくすばらしかった。どの楽器も同じ音量で奏でられるのが驚異的で、だからあの楽団の奏でるハーモニーにはハッとさせられるんですよ」

「愛のメモリー」のほか「スターダスト」「アンチェインドメロディー」などいわゆるスタンダードナンバー5曲。「G線上のアリア」「タンホイザー」という2つのクラシック曲には日本語歌詞をつけた。さらに自作曲など2曲という多彩な構成だ。

ホーギー・カーマイケルの「スターダスト」は小学2年生のときにナット・キング・コールが歌っているレコードを聴いて大好きになった。後にこの曲がテレビ番組「シャボン玉ホリデー」のエンディングで使われるのを聴いて「おれの好きな曲はテレビも認めている」と得意になった。

「50歳を過ぎたら歌おう。それまではナットのベルベットボイスを聴いて満足していようと誓ったんですが、いまなら歌うのにちょうどいい。あこがれを形にしようと思ったわけです」

ナット・コールといえば「ひき潮」での松崎の歌声にはどことなくナットを思わせる処理が施されている。「My Favorite Songs」の松崎の歌声は、エルビス・プレスリーとナット・コールの魅力的な部分を混交したような魅力に満ちている。

もっとも、松崎のメモリーにある「ひき潮」の原版はライチャスブラザースのものだ。ミルクで米軍キャンプに出演していたころに米兵からもらったレコードの中にあった。「アンチェインドメロディー」もそう。チークタイム用に歌ったら大いに喜ばれた。“背伸びして”歌っていた。そんな思い出がよみがえるという。

芸能界のイリオモテヤマネコ
「スターダスト」が「シャボン玉ホリデー」なら、「ドリーム」はやはりテレビ番組、大橋巨泉の「11PM」につながる。番組の中でダーク・ダックスが歌ったのがたまらなくかっこうよかったのだという。

松崎しげる 「シャボン玉ホリデー」に「11PM」…。CDのライナーノーツで情報番組「とくダネ!」のキャスター、小倉智昭が書いているが、松崎は団塊の世代だ。

テレビがやってきたのは小学2年生のときだった。近所の見知らぬ人たちまでやってきてテレビの前に集まった。小学校に行けば売血している同級生がいた。中学生のときには都内で電線敷設工事が盛んになり、その下に落ちている銅線を拾っては小遣いにかえた。ビートルズを聴いて衝撃を受けたのも中学生のときだった…。

「いろいろなショックをたくさん受けた時代でした。そういう時代に生まれたことをうれしく思っています」

今回集めた歌は洋楽が主体だが、単に海の向こうの名曲であるだけではなく、昭和という時代の記憶とも密接な歌ばかりなのだ。「My Favorite Songs」は、ひとり松崎しげるの35周年記念作ということにとどまらず、そうした視点で聴くのがいいだろう。

おれのことなんか、もう若い人たちは知らないかもしれないな。弱気になることも、ないわけではないが、最近、ラジオの番組でこういわれた。「いまの女子高生に芸能人でいちばん色が黒いのはだれかと質問すれば、やっぱり松崎しげるって答えるんですよ」

「もしかしたら、僕の時間の使い方は、インパクトあるものだったのかもしれない。テレビに10回出ている人と自分の1回とが同じぐらいの印象を与えられたのかもしれない」

まつざきしげるいろの入った水彩絵の具
まつざきしげるいろの入った水彩絵の具。発売はしていないが、サクラクレパスのホームページには色の調合方法が記されている
力強い歌声。水彩絵の具にまでなる色の黒さ…。松崎のインパクトは時をへても色あせないのかもしれない。

そして松崎は歌い続ける。所有するスタジオでしょっちゅう録音をしている。風邪をひいても歌っている。せき込みながら喫煙し、そして歌っている。そんなやわなのどじゃないと。

「自分のことを芸能界のイリオモテヤマネコだっていっているんです。絶滅に瀕している歌手。しかし、裏を返せば希少価値の高い歌い手だということ。(ことしの誕生日を迎えると56歳だから)あと4年したら、赤いちゃんちゃんこ(還暦)ですよ。でも、いまの60歳は若い。自分の経験を若い世代に伝えたいという気持ちにもなっています」
トップページに戻ります








spacer.gif
information

01matsuzaki_cd.jpg
My Favorite Songs
ロックチッパーレコード/OWCW2003
¥3,900

CD
  1. 愛のメモリー
  2. スターダスト
  3. アンチェインドメロディ
  4. ティル・ゼア・ワズ・ユー
  5. ひき潮
  6. あの夏の日
  7. ドリーム
  8. アイ ビリーヴ
  9. G線上のアリア
  10. タンホイザー

DVD
  1. 「黄色い麦わら帽子」  1979年 紅白歌のベストテンより
  2. 「君の住んでいた街」  1975年 第6回ヤマハ世界歌謡祭より
  3. 愛の微笑」  1976年 スペインマジョルカ音楽祭より
  4. 「愛のメモリー」  1977年 日本歌謡大賞より
  5. セーリング・ラブ」  1979年 紅白歌のベストテンより
  6. 「ワンダフル・モーメント」  1979年 紅白歌のベストテンより
  7. 俺たちの朝」  1990年 20th Anniversaryコンサートより
  8. 「マイ・ラブ」  1990年 20th Anniversaryコンサートより
  9. 「想い出の砂浜」  1990年 20th Anniversaryコンサートより
  10. 「LET ME FLY」  1995年 25th Anniversaryコンサートより
  11. 「抜け殻」  1995年 25th Anniversaryコンサートより
  12. 「夏の恋人〜グッド・バイ・マイ・ラブ」  1995年 25th Anniversaryコンサートより
  13. 「CMソングメドレー」  1995年 25th Anniversaryコンサートより
  14. 「FOR YOUR LOVE」  1999年 PV
  15. 「東京の合唱」  2000年 PV ピチカート・ファイヴfeat.松崎しげる&YOU THE ROCK★


profile
まつざき・しげる 昭和24年11月19日、東京生まれ。
45年デビュー。

52年「愛のメモリー」で日本レコード大賞歌唱賞受賞。

54年、テレビドラマ「噂の刑事トミーとマツ」に主演。「最初は『噂の刑事』という題名でしたが、僕の発案でトミーとマツとつけてもらいました。友人の俳優、西田敏行にやってみたいならやるべきだと言われて出演を決意。ものすごく思い出に残っている時代です」。「トミマツ」はDVDも発売され、今また人気を集めている。

12年にデビュー30周年を迎え、21世紀に歌い継ぎたい渾身のセルフカヴァーアルバム「OLD FASION LOVE SONG」を発売。
また自身が両親から受けた愛情や温もりを50歳で初めてもうけた自分の子供たちに伝えたいとの思いで執筆した「親父の爪のあか」を出版。

国内外、数々の音楽祭で受賞の実績を持つ実力派であり、年間100本以上のステージをこなし「ディナーショーキング」の異名を持つ。

松崎しげる公式サイトなどより

spacer.gif
ENAK編集部のインタビュー記事です