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独特の歌詞とサウンドで、悲しみを鮮やかな印象で歌いあげるシンガーソングライター、倉橋ヨエコ(29)が、新作アルバムCD「ただいま」(ビクター)で、“メジャーデビュー”した。インディーズ時代に3枚のアルバム、2枚のミニアルバム、1枚のシングルを発表。いずれのジャケット(CDの装丁)も自筆イラストによる“自画像”であるなど、すでに確立されている無二の“倉橋ワールド”が、大手メーカーの販路に乗って、津々浦々に広がろうとしている。さて、その素顔は…。
text & photo by ENAK編集長
「ただいま」の第一印象を簡潔にいうなら、ビックリ、だ。歌声は松任谷由実に似ているが、情念のこもったうたい方は中島みゆきを想起させる。でも、飛翔感は矢野顕子に近いかも。音作りは極彩色。昭和へと連なるレトロな雰囲気もあるが、いずれも、たとえば米国のベン・フォールズ(39)のサウンドに匹敵するほど、ピアノが活躍して、これも独特。
でも、いちばん耳に残るのは歌詞かもしれない。「いないもいっしょ いないもいっしょ」「てくてくてくてく」…。簡潔な言葉が呪文のように繰り返されて、聴き手の心の深いところか、脳の奥か、ともかく突き刺さってくる。痛い。まあ、気軽な、あるいはこじゃれたBGMに、これほど不似合いな音楽もない。
予想外の…
取材場所に現れた倉橋ヨエコを見たら、なんだか拍子抜けした。和の雰囲気が好きだと、和風モダンの装いに身を包んだ女性は、ほっそりとはかなげで、アフロヘアを爆発させた“自画像”のイメージからはほど遠い。
「よくいわれます。ライブでも、私が歌い始めてなお『この人は“前座”で、後から倉橋ヨエコが出てくるのだろう』って考える人がいるらしいです」と笑う。
CDの装丁に写真を使わないこともあって、音楽から聴き手がさまざまな倉橋像を想像するために起こる“珍現象”。もっと“コワイ”女性、たとえば情念のかたまりみたいな女性を予想する人が少なくないらしい。
もっとも、そういう思いこみをするのは、主にENAK編集長のような中年男かもしれない。若くてさまざまな悩みを抱える聴き手は、もっと素直に倉橋像を描けるだろう。
私の曲って…
愛知県の高校を卒業後、東京の音楽大学に進学。そのころ漠然と抱いていた将来像はピアノ教室の先生か音楽教師。
転機は大学3年生のときに訪れた。5つ違いの妹が買ってきたシンガーソングライター、熊谷幸子のCDに魅了された。
テレビドラマ「夏子の酒」の主題歌「風と雲と私」(平成6年)がもっとも知られる熊谷は4年にデビューし、10年のアルバム「S.K.」を最後に活動を停止している。熊谷は楽曲、歌声ともに松任谷由実を思い出させるみずみずしさが特徴。なるほど声質は倉橋に似ているが、楽想はまるで、違う。
「もちろん、それまでもなんなとくポップスを聴いてはいましたが、アルバムの中で気に入る曲は1、2曲で、ほかはいまひとつな場合が多かった。熊谷さんのアルバムは収録されているすべての曲がよくって。今になって考えると、曲の多彩さの点で大きな影響を受けているといえそう。さまざまな曲を作る方で、クラシカルなものもあればラテンタッチのものもある。童謡ふうのものもあれば、和の雰囲気の漂うものも」
ともかく、クラシック音楽以外に興味をもったことがなかった倉橋が、熊谷には強くひかれ、どういう和音で構成されているのかなど分析を始めた。分析にあきたらず自作曲を書くようになると、これが意外と「ポロポロ」とでき、カセットテープに吹き込むようになった。音大の同級生に聴かせたら好評。
「あれ? 私の曲って評判いいじゃない」
曲作りがたまらなくおもしろくなって、どんどんたまる。今度はレコード会社に送ってみたら1社から返事がきた。こうしてピアノの先生という漠然とした将来像は吹き飛んだ。シンガーソングライターになりたい。一応、教育実習には行ったけれど上の空だったと申し訳なさそうにいう。
こうして、24歳で「礼」というミニアルバムを出してインディーズでデビュー。デビューまでの間、クラシック以外の音楽をどん欲に吸収した。ジャズや古い歌謡曲。たまたま昭和リバイバルブームの中、ザ・ピーナツの再発CDを聴いて衝撃を受け、そうした要素も身につけた。
子供時代、親類から呼ばれていた愛称“ヨエちゃん”に基づき芸名を「ヨエコ」とした。「礼」のCD装丁ではすでに自画像が登場している。
デビューまでは、とんとん拍子だったといっていいだろう。だけど、倉橋の人生全般がとんとん拍子だったというわけでもなかった。
負の感情 力にかえて
アルバム「ただいま」の開幕を飾るのは「楯」という歌。愛する人を守るたてになりたいのに、なれない、自分の無力感を歌う。
倉橋の歌の通奏底音は、悲しみや無力感。これらはどこからくるものなのか。
「自分は無力だ、役立たずだと日々感じているんです。『楯』は深夜に窓辺に置いてあるキーボードに向かって作ったのですが、窓の外に広がる大きな夜空を見ているうちに自分の無力さをますます強く感じました」
おっとりとした少女だった。マイペースののんびり屋さん。どこにだっている。周囲は「早くしなさい」と、行動をせかした。こちらもよくあること。よく見る風景だが、本人の気持ちの中には「早くしなさい」という言葉が澱(おり)のように積もっていった。
ちょっと引っ込み思案の女の子になった。少しだけだ。ワイワイと騒ぐのは苦手だけど、自分から周囲を拒絶しりしたわけではない。
「『仲間に入れて』と、なかなか言えない葛藤(かっとう)がありました。ひとりだけ部屋の隅にいて絵を描いていた。そんな時代が」
「シーソー」という歌は、公園にひとりでいる子供の情景を歌う。相手がいなくて高く上がらないシーソーに座っている子供。だれも背中を押してくれないブランコに座っている子供。
だが、同時に「気づいてほしい、見てほしい。そういう気持ちが昔からずっとあった」。
その気持ちが引っ込み思案に勝ったから、歌が生まれた。デモテープを作って他人に聴かせた。負の感情がモノを作る動機になることはしばしばある。毎日が楽しければ、あえてモノを作る必要もないだろう。
倉橋は歌を作るとき、まず歌詞から作るが、歌詞を作るうえでの原動力は「悲しみのパワー」だという。悲しみに押し出され、こぼれ落ちた言葉をノートに書きとめておき、それを読み返しては歌詞にする。怒りに震えた筆跡だったりすることもあるという。
「裏返し」という歌は寂寞(せきばく)とした言葉が、これでもかと連ねられる。
「これは、人間不信に陥ったときに書きとめたメモが元になっています。悲しくて悔しくて。今回、悲しい歌が多いかもしれませんが、この歌についていえば悲しみを通り越した怒りが込められています」
あとから考えて、言葉が強すぎると感じたりすることはないのか。それで歌詞を手直ししたりすることは?
「ありません。歌っているとそのときの感情がよみがえり泣いてしまうことがあります。ただ、歌にして聴いてもらうことで、当時の自分を“浄化”し、成長するんです」
だからといって歌を、個人的な思いのはけ口にしているわけではない。それでは聴き手との間に共感は生まれない。
「ここにいる」という歌は、「私なんていないもいっしょ」というフレーズが執拗に繰り返される。
ファンの女性から「私も同じことを感じたことがありました」といわれたという。
「心のどこかで思っている。言いたいけど言えないことがある。だから歌にする」
言いたいけれど言えないことは、だれにだってある。だから、歌にすることの意味が生まれる。
おかえり…ただいま
実際の倉橋ヨエコを見て、拍子抜けする人が多い、と書いた。それは彼女が情念とか怨念とかを引きずったドロドロの女、という勝手な思いこみから遠い女性だからだ。それは浪花意味するか。彼女の体には、いま、音楽を作ることの喜びが満ちているということだ。
「ピアノをずっと習っていたんですけど、いつも『上手じゃない』ってしかられっぱなし。ほめられたことのない女の子でした。それが、歌を作ったら喜ばれた。人生で初めて認めてもらえた。だから、うたうことを辞めるわけにはいかない」
悲しい歌を作ることができるのは、彼女自身が悲しい人間なんかじゃないからだ。
「『ただいま』は、みんなでワイワイしているときのBGMにはなりません。帰宅して再生機と向かい合って、自分の気持ちと照らしあわせて涙を流しながら聴いてもらえたら」
そんな思いを込めたから、アルバム題名は「ただいま」。きっとだれかが「おかえり」といってくれる。
information
ただいま
babe star(ビクター)/VICB-60010
¥2,100(税込)
楯
ここにいる
線を書く
シーソー
卵とじ
裏返し
シナリオ
石鹸ガール
昼の月
ピエロ
春の歌
◆
profile
本名・
倉橋ヨエコ
昭和51年9月29日生まれ、A型、愛知県出身。
愛知県明和高等学校音楽科卒業。武蔵野音楽大学器楽科卒業。
大学生時代に、熊谷幸子に憧れオリジナル曲を書き始める。
自宅六畳アパートにグランドピアノを持つ女。
公式プロフィルから
公式サイトは
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